政区沿革

  • 更新時間: 2023-03-22

宿遷は江蘇の北部に位し、淮水の陽にあります。春秋の時に鐘吾国と呼ばれ、後に宿国は都をここに遷都したのです。秦はここに下相などの県を設置しました。西漢の時に凌県を廃止し下相を設置したのです。東漢、西晋を経て東晋安帝義熙元年(紀元405年)下相を宿豫県を改称したのです。南北朝、隋朝の時に依然に宿豫県と呼ばれていました。唐代宗宝応元年(紀元762年)代宗李豫の名タブーを避けるため宿豫県を宿遷県と改称したのです。境内に前後懐文県、潼陽県、桃源県と臨淮郡と設置しました。後に宋、元、明、清の時代を経て各州は度々変わりました。抗日戦争から解放戦争時期まで運河の東は宿豫県で、運河の西は一旦に泗宿県に属し今の暁店から北の新安鎮までは宿北県でした。1945年9月から1946年7月まで宿遷市を設立し泗宿県に属しました。1946年6月に宿遷県(運東と運西)と宿北県新沂河以南の地区は合併し宿遷県となり淮陰専区に属しました。1983年に淮陰市に属しました。1987年12月31日に国務院の批准により宿遷県を取り消し県級宿遷市を設立しました。1996年7月に国務院の批准により県級宿遷市を取り消し省轄宿遷市を設立しました。沭陽、泗陽、泗洪、宿豫四つの県と宿城区を管轄しています。市政府の所在地は宿城区です。2004年3月に国務院の批准により宿豫県を取り消し宿豫区を設立しました。